【DAY8】妻からの30万円。冷ややかな視線の裏にあった愛情と「投資」

【DAY8】妻からの30万円。冷ややかな視線の裏にあった愛情と「投資」

「アプローチとパターが最重要。最低限のクラブは揃えるべきだ」 英樹の言葉は絶対的に正しかった。しかし、お小遣いが底をつきかけているアラフィフの営業マンにとって、ゴルフクラブ一式という数万円単位の出費は、とてつもなく高い壁だった。

私に残された道はただ一つ。「妻・由香へのお小遣い前借り交渉」である。 しかし、家で新聞紙を振り回す私を常に冷ややかな目で見ていた由香に、正面切って「ゴルフセットを買いたい」などと言えるはずがなかった。

私は姑息なアピール作戦に出た。 会社帰りに立ち寄った書店で、一番オシャレなゴルフ雑誌を購入。初心者向けクラブセットの特集ページにこれ見よがしに付箋を貼り、リビングのテーブルの中央にそっと置いてみた。 ……数時間後、付箋は「ゴミ」として捨てられ、雑誌は新聞ラックの奥底へ追いやられていた。完全なるスルーである。

翌日は、スマホの画面をネットショップの「初心者向けクラブ14点セット」のページにしたまま、ソファの上に放置してみた。 由香はそれを拾い上げ、画面を一瞥すると、無言で充電ケーブルに繋いだ。見事なまでの無反応。スルーの達人だ。

「やっぱり、ちょっとやそっとの小細工じゃダメか……」 私は肩を落とした。接待の日は容赦無く近づいてくる。もう、ダメかもしれない。前借りすら切り出せない自分の情けなさに、心が折れかけていた。

その夜、食後のコーヒーを飲んでいた時のことだ。 キッチンから戻ってきた由香が、珍しく柔らかい微笑みを浮かべ、私の目の前にスッと茶封筒を差し出した。

「……なんだ、これ?」 手に取ると、ずっしりとした重みがある。中を覗き込んで、私は息を呑んだ。 そこには、ピンと張った新札の束が入っていた。数えてみると、30万円あった。

私「な!? なんだよこれ。どうしたんだよ」 由香「あなたが今、どうしてもゴルフの道具が必要なことくらい、わかってるわよ」

由香は、静かにコーヒーカップを置きながら言った。

由香「それで、ちゃんと一式揃えてらっしゃい。……いざという時のために、少しずつ貯めていたお金だから」

頭を殴られたような衝撃だった。 あのアピール作戦は、すべてバレていたのだ。いや、それだけじゃない。毎晩ガニ股で新聞紙を振る滑稽な姿も、湿布だらけの腰も、彼女はずっと見ていた。冷ややかな視線の裏で、不器用にもがく夫の姿を、誰よりも理解してくれていたのだ。

私「由香……お前……」

情けないことに、視界が滲んできた。鼻の奥がツンとして、言葉が出ない。

由香は少し照れくさそうに目をそらし、こう付け加えた。 「勘違いしないでね。これは、あなたへの『投資』なんだから。その代わり……しっかり仕事して、ちゃんと出世してよね」

それはプレッシャーではなく、彼女なりの最大限のエールだった。 手の中にある封筒が、金額以上に重く、そして温かく感じられた。

「……あぁ、任せとけ」

私は涙をごまかすように、深く頷いた。 最高の妻だ。この恩は、絶対に結果で返さなければならない。接待ゴルフという名の処刑台は、いまや「絶対に負けられない戦いの舞台」へと変わった。

明日はさっそく、英樹を捕まえてクラブ選びの相談をしようと思う。

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